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2011年3月20日 (日)

想い

 

ずっと、何を書こうか考えていました。

 

書いては消し、

書いては消し、の繰り返し。

 

このブログは、

もう何度目の書き直しか分かりません。

 

地震の瞬間、

私はほとんど動けませんでした。

引きつっている従業員の顔。

もの凄い音を立てて崩れ落ちる食器類。

つり下げていた店内の電球類が

一斉にムチのように揺れていました。

 

いつもの地震と様子がおかしいと判断するまでに

10秒ほど掛かったと思います。

ちょうどお客様がいらっしゃっていて食事中でした。

そのお客様たちは、

「恐い!恐い!」と叫んでいた。

その客席の方向を見ると

大きく前後左右にスライドしているテーブルに

しがみついていたお客様ごと揺らされていました。

 

例えるならまるで、地震を体験する機械に

乗せられている風景を見ているようでした。

 

その瞬間、頭の中にある情報を総動員します。

JR山手線の高架下は、耐震強度が半端じゃない、

都心のJR東海(新幹線高架)の強度も信頼できる。

この揺れでも耐えてくれるはずだ。

 

そう頭をよぎりましたが、

阪神大震災で橋脚が

無惨に折れた風景が脳裏に浮かび

巨大な地鳴りと共に

ドシャーン!!ガシャーン!!と

轟音をたてて崩壊しつつある店内で

果たして避難させるべきか、留まるべきか、

とてもジャッジに揺れました。

 

もう収まるのではないか、と思いながらも

強烈な揺れが1分以上続いた訳ですから

この間に色々と考える事も多かった。

新築で建てた新店舗の構造は頭に入っていますから

H鋼で強固に組み上げられたこの建物が

そう簡単に崩壊するわけがない。

もしアウトなら鉄道の高架が崩れる時か、と、腹をくくり

都心のJR高架下のこの建物は安全である旨を

その場にいた全員に伝えました。

 

いずれ来ると言われていた関東大震災の現場に、

とうとう出会ってしまったか。

その時は、

揺れる風景の中

外を走り、逃げまどう人々を呆然と見ながら

そう考えていました。

そんな感じです。

 

目の前で全く予期していないタイミングで

ああいう大地震に遭遇すると、

状況を把握しようと様々な物に反応し

情報を大量に得ようとします。

音や、周辺の状況、

何故か空を見上げたのも意外でしたが

スタッフの表情なども確認します。

そこに集中すると、

視野が極端に狭くなり

必要最小限の情報しか目に飛び込んで来ません。

身体を動かす事にまで気も回らない。

揺れる地面に立っている事もやっとですから、

自分の体勢を維持しようとするのみです。

 

ほとんど動く事が出来なかった

自分への情けなさもさることながら、

お客様の安全や従業員の事を

第一に考えていても、

何をどう判断すれば良かったのか。

 

結果としてみんな無事だったわけですから

それはそれで良かったのですが、

災害時のマニュアルは絶対に必要だと

その日からその検討に入りました。

 

衝撃だったのは、

有楽町ビックカメラの全社員が

東京国際フォーラムの広場に

整列して並んでいた事です。

 

災害時のマニュアルの落とし込みが徹底されていた事。

そしてそのマニュアルが機能していた事に驚きます。

とても凄い事だと思います。

 

地震当日は、朝まで店舗を開放し

避難所としてツイッターで情報を流し

翌日から2日間、

店舗を閉める決断を下しました。

新規オープンを華々しくした直後ですから

断腸の想いではあったのですが、

とても営業できる状態にはありませんでした。

 

東北での被害の状況を知る度に衝撃を受け

大震災の余波が東京を襲う中

様々な手段を行使できない理不尽な状況に置かれ

自分の本音と向き合う事が出来ました。

 

国家の命運と共にしている自分の仕事。

この震災で

電気・ガスなどのライフライン・ガソリン・物流など多くが

社会のインフラとして機能しない事で

社会と我々の関係性というものを痛感しました。

とても当たり前の事なのに

今さら実感する事も恥ずかしい限りです。

そう、自分の手足が当たり前に動いているぐらい

自然で、至極当然の事として認識していました。

 

全店舗の地震による影響を調査しながら

休業している2日間、

今我々に出来る事とは何か、という事を

ずっと考えていました。

 

我々は、この国難において

何かしなければならないのではないか。

 

我々は、何故今ここにいるのか。

 

様々な意見の中、

志を持って上京した一番の理由は、

自分が一生貫いていくであろうこの仕事を信じ

前人未踏の道を創り続ける先に

日本人の未来があると考えていたからでした。

 

非日常の環境の中、

日常を貫く事を第一義にしよう。

 

我々はこの状況下において一歩も引かない。

そして、我々は何も変わらない。

 

日々社会に貢献しているという誇りがあるからこそ

仕事を通じた日本への貢献を行おう、と

改めて決意を固めました。

 

それから今日に至るまで

我々が都心に掲げた御旗は

被災を共にした都内の人々にどう受け取られたのか。

 

ツイッターを通じて励ましの言葉を掛けて下さった方々

わざわざ差し入れを持ってきてくれたお客様

御来店いただいたお客様たちの笑顔であふれる店内。

そしてスタッフとお客様との間で

互いを気遣うおもいやり。

少なくとも、今は間違いではないと実感しています。

 

これからも問題は山積しています。

考えれば考えるほど頭が痛い問題ばかり。

 

都内の飲食店はどこも壊滅的なダメージを

今でも受け続けています。

ですが、ここで簡単に諦めるわけにはいきません。

 

我々世代が、

社会に出て初めて経験する国難。

 

誰かが強烈に光り輝く事で

照らせる場所もある。

 

ここからが正念場です。

 

ニッポンの活力源は食にあり。

 

派手じゃなくてもいい。

地道に一歩ずつ貢献していければ。

 

 

 

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