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2011年5月 4日 (水)

とても長く、そして甘い話

 

皆様こんにちは。

今日はゴールデンウィーク中ですので

ヒノはお休みしています。

久々の更新でこういう記事もどうかと思いましたが

私の心の中にずっと残っている事があり

このブログでの更新をすることにしました。

 

タイトルにもありますように

この話は一見するとどうでも良く、

だらだらとただ長くて

とても甘い考えが基本で構成されています。

また、後味が少し悪いかも知れません。

 

ヒノマル食堂のブログとしては

少々似つかわしくない内容かも知れませんが

官房長官風に言いますと

ヒノマル食堂の営業に「直ちに影響はない」と

考えておりますので、

そこの社長がつらつらと書く駄文を

お暇な時にでもお読み頂ければ幸いです。

 

もしお読みになりたくなければ

今回の記事はスルーされて下さい。

よろしくお願いします。

 

 

さて先日、

バンドをやっている一人の大学生の若者と

食事をしました。

私は彼の事が大好きで

生き方や考え方をとてもリスペクトしていました。

 

出会った当初、

それは2年以上も前の事でしたが

彼との関わり合いは

かなり考え方が右寄りに偏っていた当時の私の

こんな質問から始まりました。

「日本が戦争になったら、お前は銃を持って闘うか」

 

彼は、しばらく時間をおいた上で

私の目をそらさずにはっきりと

「自分は戦争でも銃を持たない」 と、言いました。

 

出会って早々お前は一体何を聞いているんだという

突っ込みが読者の皆様から聞こえてきそうですが、

まぁそれは置いといて。

 

「何故だ」 と、問う私に、

彼は

「最前線、両軍が対峙する場所でギターを持つ」

と、言い放ちます。  

 

彼は、チリのビクトル・ハラという

伝説のミュージシャンを愛していました。

ここではそのミュージシャンの話は割愛しますが

私が聞いても、その人のすごさは嫌でも分かる、

そういう人を彼は敬愛していた。

 

彼は、音楽の持つ可能性に自分の人生を賭け

これから進むべき道に

ある種の確固たる信念をもっていました。

 

お互いに戦後教育を受けただけの、

戦争を知らない世代の戯れ言かも知れませんが

あの手この手で質問を変える私に

一切自分の考え方を変えず、

一貫して自分は音楽で闘うのだと言っていました。

 

その考えを聞いた後、

「分かった」とだけ答えた私は、

彼を不思議なほどすんなりと、

そのまま受け入れました。

何かいやらしい表現なので、

彼の価値観が、何故かしっくりきた。と言った方が

正確なのかも知れません。

 

それ以来、私から見た彼は、

彼を構成する人物像の輪郭がとてもはっきりしていて

ストレートで情熱的で、教養もあり、

意外にもその時の会話が

後の彼への印象を決定付けるものだったと

今になって気付かされるほどでした。

 

「自分はギター一本で戦地に立つ」

私には、その言葉を

若さゆえ、と一笑することが出来なかった。

自分の人生への潔さと、

信じ切る事の心地よさを、

決して若気の至りとは思えなかった。

 

そして、彼の歌を聴いたときに

彼の奥底に秘められた才能を理屈抜きで感じ、

否応なく納得させられてしまっていました。

 

彼の年齢の頃の私は

ここまでしっかりと考えていませんでした。

流されまいと抗いながら

自身の運命に流され翻弄されていました。

そして人生を賭けても良いほど

打ち込めるものに出会えてもいなかった。

というか、

「出会えていた」が「気付いて」いなかった。

 

強烈な自覚     

私が彼に見たものは、

うらやむほどに神々しく光る彼の可能性と

こういう人生を歩みたかった、という憧れ、

いや、言うなれば彼は、

「私自身が歩みたかったもう一人の私自身」

と、言っても過言ではありませんでした。

 

彼の人生や、音楽に対する考え方や信念は

それほど私に衝撃を与えていました。  

 

歳月が過ぎると共に

私は彼を弟のように、

彼は私を兄貴と呼んでくれるほどに仲良くなり、

機会がある度に飯を食い、酒を酌み交わし

お互いの理解を深めていきました。

知れば知るほど想いは強くなっていく。

私は彼の壁になり、厳しく嫌われ役として

おこがましくも彼をそのまま伸ばしていきたいと、

そんな想いが芽生えるほどでした。  

 

そんな時の、 先日の食事の時の話です。

 

彼は、大学生ですので様々なゼミに出席するのですが、

震災の直後、

被災地に真っ先に乗り込んだ自衛隊の隊長の話が

鮮烈に印象に残ったと私に話していました。

 

自衛官から見た被災地の初動段階の惨状。

屈強な自衛隊員でさえ心にトラウマを負ってしまい

現地から離脱してしまうほどの悲惨な光景を

赤裸々でとてもリアルな経験談として聞いた彼は、

やりきれない表情と悔しさとが入り交じった

とても複雑な表情で私に説明してくれていました。

 

また、彼自身も友人や知人が石巻に多く、

彼の活動を支援してくれていた石巻の病院も被災し

いてもたってもいられず、即座に行動に移し始めた、とも。

 

その時、私は彼にこう言いました。  

 

「今の日本は、この震災での悲惨な状況に  

 怒りをぶつける明確な敵がおらん。  

 天災だから仕方ないと心のどこかで享受しているが、

 これがもし他国からの侵略でこうなっていたら  

 戦闘に参加するこの国の若者は多いはずだ。

 お前はこれが他国の侵略による被害だったら  

 一体どうするや?」  

 

彼の考え方を知っていたのに

数年越しに同じ質問をぶつける私は

彼を確認したかったというより

彼と音楽との人生の距離感、

そして彼の信念がどう変化したのか、

いや、変化していない事を知り、 惚れ直したかった。

 

今思えば、その意図があったのに

忘れたふりして聞く私も意地悪なのかも知れませんが。

 

彼は、 皆さんの想像通り

「自分は銃を手に取って闘うでしょうね」

と、答えました。   

 

「お前は、ギターを持って闘うんやなかったんかい」 と、

その場で即応して

思わず突いて出た私の言葉に

とても困惑した表情で

「自分でもよく分からない」と答え、

私は本能的に彼を直視出来ずに

目をそらしてしまいました。

そして、のど元まで出掛かった言葉を

じわりと、そしてごくりと飲み込んでしまった。  

 

戦争を知っているつもりの私たち。

知ってい「た」つもりの私たち。   

 

彼の先日の回答は とても正直な言葉で、

とても当たり前だと今でも思っています。

そういう考え方の男を私は好きだし、

私もそんな考えであります。  

 

実際に戦場へ出れば

普段勇ましい事を言っている私も

飛び交う銃弾の恐ろしさに

頭すら上げられないかも知れません。

いざ、敵陣に突入しようとしても

足がすくんで動かないかも知れない。

もしくは、志願して行ったものの

体力的に根を上げてしまい、

使い物にすらならないかも知れません。  

 

所詮、戦場を一切知らない

平和な日本男児同士の

酒の席での甘い理想論。  

 

彼に嘘はついて欲しくなかったので

その回答は、

彼が私に対し誠実でいてくれている証明として

それはそれで嬉しいのですが、

私は、とても言い表しがたい、

複雑な心境になってしまい、

未だにそれがどういう感情なのか

的確に表現する言葉が見当たりません。

 

あの瞬間、思わず飲み込んだ言葉も

今思えば的確な言葉が見当たらず

何とも言えなかった、

と言った方がいいのかも知れない。  

 

飲み込んだままの得体の知れない感情が

とても気持ち悪く腹の中で蠢いているまま。

 

別に彼は責められるような事を言ってもいないし

ミュージシャンをやめると言った訳でもありません。

ただ、戦地で銃を持つ、と言ったまでです。

   

「事実」、若しくは「現実」を知る事。

大きな経験がその人の価値観を

大きく変えてしまう事は誰にでもあります。

極真空手の黒帯で武闘派であり、

感受性豊かな彼なら、

この惨状が他国の仕業なら絶対に許さないと

思っても全く不思議ではありません。

そして、彼は至極当然の答えを口にしただけ。

 

だけど、今まで、

「彼はこういう男だ」と

一言で紹介できるほど

はっきりと見えていた彼の輪郭が、

その時からはっきりとした形には違いないが

違う色になったような気がしているのが

一体何故なのかが分からない。  

 

ギター一本で最前線に立ち、

銃で撃たれ、

また撃たれ、

倒れてもなお立ち上がり、

音楽の可能性に殉じようとする事。

彼が愛する周囲の人々がやめてくれと懇願し、

彼は悩み、苦しみ、葛藤し、血の涙を流しながら

文字通り「生木を裂く」ような思いで

生き方を変えざるを得なかった訳ではない。  

 

人生に於いていかなる時も

その人の信念が生き方を決め、

そしてその人生の体験に於ける様々な「学び」が

その信念や想いを強くし、

進化させ、

結果として歳と共に重くなっていく。  

 

若いときの情熱のまま歳を重ねる事よりも

若いときの情熱と共に芽生え育まれる信念に

人生の「偉大なる経験」という

言い換えれば麦踏みのような苦境と葛藤があってこそ

ただの理想に終わらない

「人はいかにして生きるべきか」という

孤独で、だが尊く孤高な

そして、

とても高潔で光り輝く「在り方」を残せるのではないか。

 

そう、彼が愛し尊敬してやまなかった

あの伝説のミュージシャンのように。  

 

私が信頼する人に

この心境は一体何だろう、と

事の顛末を話しましたら、

それは「喪失感」ではないか。と言ってくれました。

そして「残」「念」だったのではないか。とも。  

 

教育の賜として 戦争を見知ったはずの彼は

出会った当初のあの頃でさえも

そこまで甘い考えをしていたとは到底思えない。

ましてや、いわゆる近隣諸国の友人達とも

先の戦争について日本側に立って激論出来るほど

一応の知識はあった。  

 

人の信念とは

やはり移ろいゆくものなのか。

それも、いとも簡単に、あっけなく。

あの時あんなに偏っていた私自身でさえ

彼の揺るがない回答を

信じさせられた程のものだったのに。  

 

「リアル」を知る事で変わるのなら、

我々が普段想いを馳せ信じて疑わないものなど

ただの幻想に過ぎず

脆く儚いただの思い込みでしかない。  

 

あの時感じた、

そして今でも心に残り続ける

この説明しがたい感情とは、

やはり「敗北感」という言葉に近い。

 

あの時、

初めて私はこの震災に「敗北」した。

 

人は、何があろうと 情熱のままに、

信じた道を貫けないものなのか。

いや、その道を歩む上で、

1つの事を貫き通す

根底の覚悟や想いだけは変えることなく

純粋なまま埋没する事は出来ないものなのか。

 

うーん。。。

これらの言葉をどれだけ書き連ねたとしても

書けば書くほど物事の核心から離れていく。

 

あの言葉は、

信じて念じ、

彼に「勝手に」想いを賭けた私の敗北。

 

今頃は被災地にいるであろう

とても立派な事をしている彼自身が

悪いわけではない。  

 

様々な感情を勝手に彼に投影して見てしまった

私自身が敗北の感傷に

甘っちょろく浸っているだけかと。

 

変わらない、とは

義務や責任ではない。

 

変わりたくない、という願望でもない。

 

振り返れば変わっていない。

これが1つの正解のカタチ。  

 

理想は、

振り返ったとき

あの時の想いがより強くなっている。か。

 

果たして我々は

若いときに志した想いと信念をそのままに

世の中の不条理や学びで

立派に鍛え上げる事ができるだろうか。

 

人はいずれ死ぬ。  

 

願わくは、苦しくとも実り多き

そして納得出来る人生を望みたい。

 

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